青森県下北地区の学校やお祭りなどの情報を掲載しています。

むつ市立


城ヶ沢小学校

じょうがさわ


むつ市立

むつ市立

城ヶ沢小学校







城ヶ沢小学校

〒035-0095 青森県むつ市城ヶ沢字畑下丁塚1-1

0175-24-1107



年次月日主な行事
明治9年10月25日城ヶ沢小学創立。
清沢寺本堂(字城ヶ沢四)を借り受け授業を開始
大湊村居住の浜田和助、石筆・白墨を製造
明治10年10月このころ校長職はなく、教員が校長の職務を執行
教員の名称を改めて授業生と称す
明治11年10月字早﨑二番地(現城ヶ沢部落集会所敷地)に新校舎建築、移転
明治11年小学を初等・中等・高等の三等とする
明治11年郡制設定、当地方は下北郡となる
明治12年大平小学創立
「学制」を廃止し、「教育令」公布
明治13年「教育令」改正、義務教育年限が三年になる
明治14年田名部に下北郡役所新築
明治15年田名部初等師範学校開校、修業年限一年
明治16年角違簡易小学創立。金神神社で授業
明治17年初等師範学校廃止
明治18年角違簡易小学校舎新設(字角違41)校地面積四歩
明治19年「教育令」改正。尋常小学校四カ年義務制となる。
明治19年教科書検定制度制定
明治19年角違簡易小学校を城ヶ沢尋常小学校角違分教場とする
明治19年角違大火、二十二戸・小廻船一隻・漁船四隻焼失
明治20年教科用図書検定規則を制定
明治21年国家「君ヶ代」の制定を各条約国に通告
明治21年東奥日報創刊
明治22年「町村制」施行。城ヶ沢・大湊・大平三ヶ村合併、大湊村と称す
明治23年「教育に関する勅語」発布。小学校令公布
明治24年3月26日下北郡役所を経て勅語謄本公布
明治24年小学校正教員・準教員の別を定める
明治26年1月6日明治天皇、皇后両陛下御真影拝載
明治27年日清戦争(~明治二十八年四月まで)
明治27年学校の祝日の歌詞を選定公布
明治29年三月末現在、大湊村全体就学率平均二十八・四%(明治二十九年大湊村事務報告)
明治29年「市町村立小学校教員年功加俸国庫補助法」公布
明治30年大湊郵便局電信開始、大湊村役場庁舎新築
明治31年あいつぐ凶作のため城ヶ沢区財政逼迫を極め、準教員工藤石松(月奉九円)雇
教員菊池房五郎(月報五円)よりそれぞれ月一円づつ、
計二十四円の寄付金を引き去り、戸数割を軽減して区予算成立させた。
明治31年雇教員一名(月俸四円給)増員
明治31年9月26日大湊村会、猪口友次郎・工藤助三郎・吉田善助の三氏を城ヶ沢尋常小学校建築委員に選出
明治33年教員免許令公布
明治33年小学校令改正、授業料廃止、小学校令施行規則が出され尋常小学校の義務教育四年制度確立
明治34年4月1日補習科設置、修業年限二ヶ年(科目~修身、国語、算術)
明治34年7月12日同一校地に新校舎建築落成式挙行
着工 三月二十日
明治34年総坪数 一〇二坪八合
建築費 一、六六八円
負担内訳 城ヶ沢 一、二〇〇円
泉沢・近沢      一二〇円
永下          四八円
角違         一四〇円
寄付金        一六〇円 
明治34年9月25日角違分教場字浜田三二(角違部落西端)に新校舎建築移転す
 着工 七月二十九日、総坪数 三十九坪
 建築費 四九七円五〇銭(城ヶ沢積立一〇〇円、角違寄附三九七円五〇銭)
明治34年陸奥汽船kk創立(大湊を起点に野辺地、青森間を確実運航開始)
明治34年10月10日高等科設置、修業年限二ヶ年(八月十五日区会可決、九月二十三日認可)
生徒男二十三名、女十名、尋常科と合わせて就学率六十二%となる)
明治34年大湊村学務委員設置
明治34年城ヶ沢・泉沢に赤痢及び腸チフス発生、罹病十三名、うち死亡七名・城ヶ沢区衛生組合発足・凶作
明治34年はじめて「訓導兼校長」配置となる
明治35年「小学校生徒の出席を奨励する規定」施行
(一ヶ年間無欠席または三日以内の欠席者に五〇銭から八〇銭までの物品を行賞す)
明治35年憲兵分隊大湊村屯所設置
明治35年8月1日大湊水雷団開庁、退院凡そ二〇〇名
明治36年国定教科書制度成立(小学校令改正)
明治36年佐々木由蔵他二十一名より教育費として金一〇〇円五十銭寄附(風琴八十七円及び参考書に充当)
明治36年7月12日角違に火災あり、八戸焼失
明治37年国定教科書採用
明治37年日露戦争勃発(~明治三十八年九月)
明治37年大湊村「堆肥製造所」を城ヶ沢に設置
明治38年新造船「陸奥湾丸」(一四四.二六トン)就航す。
明治38年大湊水雷団廃止され、大湊要港部と改めれらる。
明治39年戦捷記念植林地に杉六千本、落葉松五百本植樹
明治39年大湊村「馬耕伝習」を城ヶ沢にて開催、五月十三~十九日伝習生四人
明治40年小学校令改正(義務教育年限六ヵ年に延長となる)
明治40年戦捷記念植林地に杉六千本、落葉松五百本植樹
明治41年3月31日高等科廃止、四月から尋常科六年とする
明治41年東北丸・陸奥湾丸の二隻で毎日、大湊、川内、脇野沢、青森、野辺地、横浜を運航
明治41年9月25日皇太子嘉仁親王、大湊要港部へ行啓
明治41年10月13日「戍申詔書」発布、十一月十六日拝戴
明治41年はじめて「裁縫教員」配置となる。
明治42年大湊村立治療院設置
明治43年韓国併合
明治44年尋常科に手工を化することが認可される。
大正2年大凶作に見舞われ、大湊村会「地租免税法律設定の件請願」を可決
大正2年大湊水雷施設隊を大湊防備隊に、大湊要港部修理工場を大湊要港部工作部と改称
大正3年第一次世界大戦始まる(~七年十一月)
大正4年11月10日城ヶ沢小学校御大典記念財産設定
大正4年12月22日大正天皇、皇后両陛下御真影拝戴
大正5年10月11日大湊電灯株式会社創立点火開業
大正5年大湊村連合青年団組織
大正6年大湊村会「大湊村を変更して大湊町と改称する件請願」可決(請願運動始まる)
大正7年7月7日皇太子裕仁親王、大湊要港部へ行啓
大正8年「小学校令」「小学校施行規則改正」(歴史地理の授業時間増、理科は四年から)
大正8年1月8日城ヶ沢農業補習学校創立、城ヶ沢小学校に附設される。
大正8年7月校舎増設、三学級編成となる
(教室二十坪、廊下六坪、物置二坪、下足場十坪、計三十八坪増、一四一坪八合となる。)
増築費およそ一,七〇〇円
大正8年増築記念として城ヶ沢住民を大行、総代吉田源吉よりテーブル掛、花壇、水差し、フットボール、
物置及び入口普請材料、大工材料、校庭地均人夫、運動器具材料、
城ヶ沢青年会より運動器具据付人夫紅白幕、大算盤が泉沢青年会より紅白幕が
佐々木佐五兵衛より棚材料、物置敷板がそれぞれ寄付された。
大正9年4月泉沢(字下前田三七番)に城ヶ沢小学校教員住宅建設
 総坪数三〇坪五合・敷地、五畝は林甚之助・小林孫吉より無償借入
 建築費二、七七五円三十九銭(内訳 泉沢一、七八七円七十九銭、
城ヶ沢六九〇円三十銭県補助二九七円三十銭)
大正9年大湊、田名部間に乗合自動車の営業開始
大正9年第一回国税調査施行。大湊村戸数九二四戸、人口五、七〇八人
大正10年9月25日国鉄大湊線開通
大正10年新剣道開さく
大正11年城ヶ沢区財政逼迫により、二学級編成となる。
大正12年9月1日関東大震災
大正13年児童数増加により三学級復活を提案したが否決(二月二九日城ヶ沢区会)
大正13年大湊要港部第十九回海軍記念日四校(田名部・大湊・大平・城ヶ沢)連合運動会開催
大正14年三学級復活提案、再び否決(二月二十八日城ヶ沢区会)
大正14年10月4日大湊尋常高等小学校新築落成(現在地、木造二回建て一〇〇八坪余り、総経費十二万五千円)
大正15年4月1日三学級編制復活
大正15年7月1日城ヶ沢青年訓練所設置。農業補習学校を充当
大正15年8月6日NHK設立、ラジオ放送開始
大正15年10月本校創立五十周年式典挙行
年次月日主な行事
昭和2年今冬より城ヶ沢小学校はじめて石炭ストーブ採用。
昭和3年11月10日御大典を記念し、大湊町制施行許可される。
昭和4年4月1日高等科併置、修業年限二ヶ年。四学級編成となる。
昭和4年体操場増築(廊下とも五十坪)
昭和4年角違分教場増築(三十坪)
昭和4年6月11日城ヶ沢部落大火(三十四棟、三十一戸焼失)
昭和5年1月23日城ヶ沢にわが国最初の女子消防組発足(大湊町消防組第三部)部長一名、小頭二名、
女子消防主二十五名、設備費として金五百円、警鐘台、ポンプ置場材料を城ヶ沢より寄附。
昭和5年4月1日高等科授業料徴収となる。
(一ヶ月一名二十銭、一家の児童二人以上の時はほかの一人は十銭とする)
昭和5年第三回国税調査施行。大湊町戸数一、一一八戸、人口五、九五六人(軍人を除く)
昭和6年4月23日天皇、皇后両陛下御真影拝戴
昭和7年大湊要港部開設三十周年記念式典挙行。
昭和7年大湊海軍航空隊設置に決定。用地十六万坪買い上げはじまる。
この頃航空隊作業員大量に城ヶ沢、宇曽利川に居住、にわか下宿、飯場、氷点、
カフェー営業者ができた。
昭和7年新県道(宇曽利川より堺田を経て城ヶ沢に至る)開さく。
昭和8年小学国語読本(桜教科書)使用、初めて色刷り。
昭和8年大湊町立治療院廃止
昭和8年11月1日大湊海軍航空隊開隊
昭和8年町立田名部実科高等女学校設置(現在の田名部高校)
昭和8年大湊小「各科郷土教育資料」発行。
昭和8年凶作、県下小学校欠食児童三、二三五人にのぼる。
昭和9年4月1日児童数急増により尋常科四学級編成となる(昭和十年度まで)
 大湊町戸数一、三九二戸、人道七、九四四人となる
 大湊町区制廃止、区有財産は町有となる(三月三十一日限り)
昭和9年9月1日公立城ヶ沢青年学校創立。(青年訓練所充当の城ヶ沢農業補習学校を改称)
昭和10年4月15日城ヶ沢共同作業場、校舎に隣接竣工し、昼間上級児童の作業実施所となる。
昭和10年4月「青年学校令」を公布
昭和10年全国学校向け放送を開始
昭和11年四月文部省「国体の本義」配布
昭和11年7月7日日華事変はじまる。
昭和11年7月13日大湊町営バス運行認可。(田名部~宇曽利川間)
昭和11年7月30日大湊町章制定
昭和13年「国家総動員法」を制定。
昭和14年3月4日警防団令による大湊町警防団設置、城ヶ沢は第二分団として発足。
昭和14年12月6日国鉄大畑線開通
昭和15年10月23日角違分教場にて「複式教授視学委員会指導研究会」開催。
昭和16年4月1日小学校を改め城ヶ沢国民学校と改称。
昭和16年国民学校令の公布により、初等科六ヶ年・高等科二ヶ年、八ヶ年義務教育となる。
(国民科・理科科・体錬科・芸能科)
昭和16年4月町立田名部中学校(夜間)開校
昭和16年城ヶ沢青少年団設立。団長は校長が就任。
昭和16年11月2日大湊要港部廃止。大湊警備府設置される。
昭和16年12月8日「太平洋戦争」はじまる。
昭和16年戦争遂行のための食糧資料増産運動がおこり、青少年団は学校園二反歩に馬鈴薯、大根、麦、
大豆等を栽培、青年団女子部は田一反歩を神明宮神饌田として耕作したほか、
荒地を開墾して南瓜、稗、ヒマ等を栽培した。
 また、県主催堆肥飼料増産運動に参加し、その成績極めて優良として、
十六年・十七年二年連続県知事表彰を受けた。
昭和16年町立田名部実科高等女学校、県に移管される。
昭和17年4月1日五学級編成(共同作業場借用教室に充当)角違分教場も二学級編成となる。
昭和17年第四十一海軍航空拡張、工員、職員のための住宅地として新城ヶ沢の建設はじまり、
児童数急増(第一~四工員寄宿舎、四十七棟、第一~四工員住宅一三八棟、二九〇戸)
昭和18年六学級編成(初等科四、高等科二)となる。体操場を教室に充当。
昭和18年11月1日城ヶ沢青年学校廃止、新たに大湊町立大湊青年学校設置。
昭和18年青少年団、藁工品の成績優秀により一等賞状ならびに金一夫を県知事より受領
昭和18年女子青年団、伊勢神宮、靖国神社、明治神宮の三社へ玄米各三斗を献穀することを下名され、
六月十二日神饌田に植付式を行い九月九日刈取り式、神誉祭り当日代表者によって献穀した。
昭和18年大湊町営バス廃止
省営バス(田名部-脇野沢)開通。
昭和18年10月17日太平国民学校一本松(現位置)に移転、新校舎建築造成
昭和19年4月1日八学級編成(初等科六・高等科二)となる。体操場を仕切り、二学級とし、
ほかに神明宮に一学級を収容す。
昭和19年大湊町戸数三、三二七戸、人口二九、五一二名をなる。
昭和19年12月16日大湊町会において「城ヶ沢国民学校校地寄附採納の件」可決。
 児童生徒の急増による校舎の狭隘と現在地は海軍飛行場に隣接し、敵地でないとの判断から
 移転新築を決定、敷地を町で選定確保する。
 校舎は海軍側で建築することに校章が成立して本件が上程されたものである。
 位置 大字城ヶ沢字新之助十六番の十五のうち、面積 田二町歩、寄附者 土地共有者、
木村長太郎ほか四十一名
昭和20年8月大湊空襲
昭和20年8月15日終戦の詔書渙発
昭和20年大湊警備府福音業務を開始。軍需部物資放出命令発令
昭和20年11月30日大湊警備府閉庁
昭和20年黒塗り教科書使用、修身、歴史、地理の授業停止
年次月日主な行事
昭和21年3月21日下北郡教職員組合結成
昭和21年3月31日大湊町立青年学校廃止
昭和21年4月1日函館船渠株式会社大湊造船所開業
昭和21年5月1日城ヶ沢国民学校に電話架設(大湊局九二番)
昭和21年11月3日「日本国憲法」公布
昭和21年12月大湊公民館設置
昭和22年「教育基本法」「学校教育法」公布、学習指導要領一般編配布
昭和22年大湊町立公民館設立
昭和22年4月1日六・三・三の新学区制実施に伴い義務教育九ヶ年となり校名を城ヶ沢小学校と改称し、六学級編成。
高等は新設の大湊中学校に編入。
昭和22年5月3日城ヶ沢小学校父母と教師の会結成され片岸重道氏初代会長に就任。
同日新憲法施行。
昭和22年6月8日日本教職員組合相結成。八月二十七日下北郡連合PTA結成。
昭和22年9月1日「社会科」の授業開始
昭和23年1月20日角違分教場移転新築(字流道十四番地)分離、独立小学校となる。
昭和23年6月1日大湊町立大湊高等学校開校
昭和23年7月10日戦後の教科書検定制度施行
昭和23年「教育委員会法」公布。船渠、県教育委員会発足。
昭和23年7月31日勅語、詔書を返還す。
昭和23年11月10日大湊町制施行二十周年記念式典挙行される。
昭和24年4月29日字畑丁塚一番地(現在地)に校地を移転、旧工員養成所建物を移築完成、落成式を挙行
昭和24年6月11日大湊町公民館新築落成
昭和24年11月20日大湊高等学校新築落成式並びに建立移管祝典開催
昭和24年11月26日校長住宅、旧校舎後に新築落成。
昭和25年3月2日「函館ドック大湊造船所従業員二〇三名首切問題」対策のため町民大会を開く
昭和25年7月31日函館ドック大湊造船所閉鎖
昭和25年9月閣議で公務員のレッドバージ決定
昭和26年4月13日大湊中学校火災
昭和26年県下の小中学校六日制に復帰
昭和26年第一回下北美術展を大湊公民館で開催(以後毎年開催)
昭和26年児童憲章制定
昭和27年4月22日校地周囲に桜樹五十本植栽
昭和27年8月25日視聴室の改装完成
昭和27年11月1日大湊町教育委員会発足
昭和27年第一回記念植林実施。杉苗三千本植樹。大字城ヶ沢字城ヶ沢上堺田の内、面積三町歩
昭和28年PTA会長に工藤孫彦就任(二代目)
昭和28年7月16日郡下小学校一斉学力テスト実施(国・算・社・理)
昭和28年10月21日海上自衛隊大湊地方総監部会長、祝賀式挙行。
昭和28年「学校図書館法」「理振法」公布。教員給与三本憲法成立。
昭和28年NHKテレビ放送開始。青森放送(RAB)放送開始。
昭和28年11月20日下北郡小学校長会本校において開催。
昭和29年PTA会長に小林勝太郎氏就任(三代目)
昭和29年1月21日陸上自衛隊大湊駐屯部隊設置。
昭和29年4月25日第二回記念植林実施。
杉苗千五百本植樹。
昭和29年9月3日大湊町議会を開き田名部町との合併促進協議会を提案可決。
田名部町議会九月五日同じく決定、両地区合併促進協議会発足。
昭和29年台風十五号のため洞爺丸他転覆、千数百名の犠牲者でる。
昭和29年10月10日大湊町連合PTA主催体育記録会を本校校庭に於いて開催。
昭和30年4月18日宿直室・視聴室の出窓改造完了
昭和30年4月27日第三回記念植林実施、杉苗千二百本、松苗三百本植樹。
昭和31年2月10日航空自衛隊第一〇九〇部隊大湊派遣隊設置。
昭和31年2月14日下北教育事務所の合同視察、町教育委員・町内各校長・各PTA会長等多数参加来校す
昭和31年4月30日第四回記念植林実施、杉苗千五百本植樹。
昭和31年7月25日植林地に標木建立し、記念撮影を行う。
昭和31年9月28日文部省初の全国学力調査実施
昭和31年10月1日「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」施行。
昭和31年10月3日校歌並びに校章制定(校歌作詞/斉藤才吉氏・作曲/西山吾良氏、校章図案は職員一同の合作)
昭和31年10月14日校歌及びピアノ披露演奏会開催(三上公一、西山吾良の両氏による)
昭和31年11月3日創立八十周年記念式典を盛大に挙行する。
昭和32年4月30日第五回記念植林実施、杉苗千五百本植樹(五カ年計画完了)
昭和33年1月31日大湊小学校全焼
昭和33年PTA会長に木村忠郎氏就任(四代目)
昭和33年校長に管理職手当 支給
昭和33年小中学校の新学習指導要領告示
昭和33年12月8日井戸に電気ポンプ据付
昭和34年8月7日校舎屋根をトタン張りに改造、水道延長。
昭和34年9月1日市制施行され、大湊田名部市立城ヶ沢小学校となる。
昭和34年大湊小学校円形校舎完成。落成記念式典挙行。
昭和34年「学校安全会法」成立。
昭和35年4月6日教室及び廊下の床板張替
昭和35年6月17日校舎土台替。東側廊下に窓一間取付。
昭和35年8月1日市の名称をむつ市と改称変更
昭和35年8月中庭に小鳥小屋及び兎小屋新築。
昭和35年大湊湾の白鳥、県天然記念物指定。
昭和35年10月15日校庭東側に「遊動橋」新設
昭和35年12月16日「うどん給食開始。」大湊小学校完全給食実施。
昭和35年教頭に管理職手当支給される。
昭和36年2月海上自衛隊大湊補給所、同工作所開設。
昭和36年4月1日子ども郵便局設立。
昭和36年4月1日義務教育諸学校の教科書無償配布制度施行
昭和36年6月28日中庭に第二号池完成(円形十三平方米)
昭和36年12月校門建設(卒業生寄贈)給食室増築(十八.七平方米)
昭和37年2月12日給食室前廊下板張(二十六・七平方、PTA予算三五、〇〇〇円)
昭和37年5月8日校庭海岸側に黒松苗木三百本植樹(昭和三十七年度卒業生寄贈)
昭和37年6月11日この日から完全給食実施。
昭和37年東廊下床張替、校舎北東側非常口取付け
昭和37年10月4日給食倉庫新築(西水飲み場の一部仕切りブロック建四・七平方米)
昭和38年1月17日西便所前廊下板張替。
昭和38年PTA会長に木村栄一氏就任(五代目)
昭和38年5月正面玄関前に松一対、校舎周辺にポプラ八十七本植樹(昭和三十なあ年度卒業生寄贈)
昭和38年12月市役所庁舎落成
昭和39年2月23日商工会珠算検定に三年以上在籍一三二名中一二一名受験。
九十一名合格(七十六・九%)以後毎回好成績を収め各方面から注目を浴びる。
昭和39年3月27日県教職員互助会発足
昭和39年植物園、うさぎの像、ラベル百枚寄贈(昭和三十八年度卒業生)
昭和39年4月10日県立むつ工業高校開校式
昭和39年7月12日自転車置場新築(九・九平方米)部落寄贈
昭和39年学校林に林道造成、校庭暗渠排水工事施工(部落民作業奉仕)
昭和40年1月普通教室ベニヤ板張替、油倉庫新築(二、七平方米)
昭和40年3月つつじ、さつき五十本寄贈(昭和39年度卒業生)
昭和40年5月学級園のコンクリート打ち完成(昭和40年度卒業生)
昭和40年5月10日自転車乗車免許検定実施。
昭和40年9月19日むつ市連合PTA主催体育大会、本校校庭で開催。
昭和40年両便所改修工事、廊下、図書室、職員室等テックス張替工事完了
昭和40年10月24日下北むつ珠算競技大会に出場、学校対抗で準優勝。個人総合、五年吉田和子優勝、ほか上位入賞三名
昭和40年12月27日健康優良特選校として県教育長から表彰
昭和40年この年度から教科書の統一採択のもの使用
年次月日主な行事
昭和41年4月アツギむつナイロン工場発足
昭和41年5月はじめて農繁休業を廃し、短縮授業(午前中)に切り替える
昭和41年6月6日創立九十周年記念大運動会開催(学校紅白対抗、一般部落対抗)鼓笛隊編成披露、
四年以上全員七十七名。
昭和41年6月25日祝日法改正(敬老、体育の日追加)
昭和41年8月「日時計」「ブロック製温床」完成(昭和四十一年度卒業生卒業記念)
昭和41年8月学校林道二五〇米完成。第四一回全国高校総体芦崎湾で漕艇競技
昭和41年9月25日青森県PTA大会に於いて、県教育長より城ヶ沢PTA団体表賞を受ける。
昭和41年八ミリ映写機撮影機購入(協賛会)校舎一部修理
昭和41年11月3日創立九十周年記念式典祝賀会挙行
昭和41年校名旗寄贈(昭和37年度卒業生)
昭和41年11月4日創立九十周年記念学芸会開催(品評会、展覧会併催)
昭和41年12月21日むつ市電話自動化
昭和42年1月8日PTA主催「親と子の座談会」
昭和42年2月19日教室、図書室職員室に蛍光灯三十灯取付
昭和42年3月30日下北のヒバ林、天然記念物に指定
昭和42年3月31日「勤務時間外における管理状況の実態調査等に協力」文部大臣表彰状をうける。
昭和42年PTA会長に工藤昭三氏就任(六代目)
昭和42年9月23日県学校給食競技大会において県表彰をうける
昭和42年12月4日角違校職員、給食施設、指導状況視察のため来校。
昭和42年「むつはまなすライン」完全塗装完工
昭和43年1月25日積雪多く、校舎周囲、屋根の除雪作業をPTA実施。
昭和43年1月27日集団風邪の流行で臨時休業
昭和43年3月24日珠算教育優秀校としてむつ市商工会より表彰
昭和43年5月16日午前九時四十九分、十勝沖地震発生、震度五マグネチュード七,八
児童非難し、各部落毎に教員引率の下帰宅、各地の被害甚大、
本校でも行動、教室、天井等後日補修
昭和43年5月28日流行性耳下腺炎のため、出停、学級閉鎖相次ぐ。
昭和43年7月22日下北半島国定公園に指定。
昭和43年8月21日豪雨により永下橋東海、断水により給水車数日来校
昭和43年10月13日郡下珠算競技大会にて団体、トーナメント、個人総合にそれぞれ優勝
(井沢勇・工藤千秋・中村裕治)
昭和43年12月流行性感冒のため、四日間休校、職員は部落巡回。
昭和43年文部省、小学校新指導要領を発表。
昭和44年4月大湊港重要港湾昇格
昭和44年5月「むつはまゆり分校」開校
昭和44年6月12日原子力船「むつ」推進式
昭和44年6月21日むつ運動公園竣工式
昭和44年6月25日四年生二十五名、自衛官による体験航海で青森行。
昭和44年7月27日むつ市連合PTA主催西通地区体育大会本校で開催。
昭和44年8月18日高校野球大会決勝戦(甲子園)三沢高対松山商延長十八回、引き分け再試合
昭和44年9月1日市制施行十周年記念式典
昭和44年11月1日日宿直制廃止となり無人化。
昭和44年11月2日学芸会実施、本年から午前中で終わる。
昭和44年12月1日青森テレビ本放送開始。
昭和45年1月13日むつ市で高松宮を迎えて第二十回県中学スキー大会開催。
昭和45年1月31日暴風雨のため短縮授業、煙突とび、随所に雨漏り。
昭和45年5月10日学校植林作業実施、PTAと五・六年。
昭和45年5月23日新築協賛会組織され趣意書配布。
昭和45年5月25日佐井小学校に集会活動状況視察参観。
昭和45年7月28日一、二年教室天井及床張り替え。
昭和45年9月25日体育館上棟式実施。
昭和45年11月11日下北半島のサル、天然記念物に指定。
昭和45年11月17日屋体完成、引き渡し。
昭和45年12月6日屋体落成式典、祝賀会。
昭和46年1月25日学校長急逝す。
昭和46年PTA会長に新松奇久氏就任(七代目)
昭和46年5月15日植林作業(五・六年実施)
昭和46年6月11日中教審答申(第三次教育改革)
昭和46年6月16日宿直代行員配置される。
昭和46年7月24日城ヶ沢地区少年団子ども会結成大会開催。
昭和46年8月30日下北美術展、移動展示会場となる。
昭和46年9月15日むつ市子ども会大会開催される。
昭和47年第十一回冬季オリンピック札幌大会
昭和47年4月29日PTA中庭の植木移動作業
昭和47年5月8日五年生、五所川原少年自然の家へ生活訓練のため参加(以後継続)
昭和47年7月8日下北書道教育研究会、本校会場に開催。
昭和47年7月21日角違海水浴場にて水泳訓練(国鉄バス二台)
昭和47年8月5日市教委にて新校舎建築の具体的打ち合わせ。
昭和47年8月10日校舎新築に伴う校舎一部の解体作業。
昭和47年8月21日校舎解体、不備のため夏季休業期間を八月二十七日まで延長。
昭和47年8月28日新校舎建築のためパイルうち始まる。
昭和47年9月5日県教委「学制百年」記念式典挙行
昭和48年2月7日猛吹雪のため短縮授業
昭和48年2月流感により臨時休校(前後二回、延四日間)
昭和48年3月20日二級防音校舎(鉄筋コンクリート二階建)完成
昭和48年3月27日校長住宅完成
昭和48年3月29日三年生以上出校、新校舎へ引っ越し作業
昭和48年4月12日祝日法改正(祝日が日曜の場合翌日を休日)
昭和48年県内小学校教科書、地区採択の者使用。
昭和48年PTA会長に新松鶴次氏就任(八代目)
昭和48年4月27日旧校舎解体作業完了。
昭和48年4月30日宿直代行員廃止
昭和48年5月26日新築落成協賛会、新校舎前庭へ芝の種まき。
昭和48年6月19日東通村鹿橋小中学校職員一行本校視察。
昭和48年6月26日通学路(集会所~給食室)完成
昭和48年6月30日新築落成協賛会、前庭へさつき、玉伊吹植付。
昭和48年7月8日新築落成記念大運動会開催。
昭和48年7月11日北郡中里町校長会一行本校視察
昭和48年7月15日新築落成式典並びに祝賀会盛大に挙行。
昭和48年8月2日三戸郡上市川小PTA一行来校視察
昭和48年8月25日むつ市連合PTA西通地区球技大会本校で開催、ソフトボールの部で準優勝。
昭和48年9月19日学校長米国教育事情視察
昭和48年9月22日むつ市学童お話し大会本校で開催。
昭和48年9月24日集中豪雨のため田名部地区洪水、国道二七九号線不通、城ヶ沢部落も集会所前橋危険通行不能。
昭和48年10月27日県立大湊高等学校新築落成式
昭和48年11月6日新校舎完成記念航空写真撮影
昭和48年11月18日むつ市連合PTA研修会場となる。
昭和48年12月30日バックネット完成
昭和49年3月28日創立百周年記念事業協賛会組織。会長木村栄一氏。
昭和49年7月21日むつ市連合PTA主催球技大会参加(大湊小)女子ポートボールで優勝。
昭和49年8月15日大湊農協総会、体育館で開催。
昭和49年9月3日市内校長会、図書室で開催。
昭和49年10月10日むつ市リレーカーニバルに参加、男女ともB組で優勝。
昭和49年10月18日むつ市小中学校音楽会へ四・五・六年参加(於第二田小)
昭和49年11月24日PTA新城ヶ沢のスキー場設置のため刈り払い。
昭和49年12月16日協賛会会長工藤平真氏選任。
昭和50年2月3日学校スキー場開き。
昭和50年2月23日むつ市民スキー大会四年女子・五年女子の分で優勝。
昭和50年3月20日物置小屋完成(四.五坪)
昭和50年5月8日国鉄バスのストにより自家用車、徒歩で投稿。通学混乱。
昭和50年5月26日渡り廊下と体育館のつなぎ箇所修理。
昭和50年6月11日~13日大湊航空隊施設班グランド土盛作業。
昭和50年9月13日上北郡乙供中学校PTA一向学校環境視察のため来校。
昭和50年10月3日大湊中学校ブラスバンド県大会優勝記念演奏会を体育館で行う。
昭和50年10月15日むつ市小中学校音楽祭参加(於田名部中)
昭和50年11月1日~3日城ヶ沢舘発掘調査隊、神明宮境内を発掘調査する。
昭和51年3月23日昭和五十年度卒業式、校旗樹立、校章取付
昭和51年5月25日実験観察園、和庭園の造成完了
昭和51年6月13日百周年記念大運動会盛大に挙行
昭和51年8月14日百周年記念講話会開催。
昭和51年11月3日創立百周年記念式典挙行
昭和53年11月22日文部省指定(52年)により新教育課程研究発表会開催
昭和59年3月20日県教育委員会より教育研究奨励賞を受賞
昭和61年10月15日文部省研究指定道徳教育共同推進校発表会開催
年次月日主な行事
平成2年10月31日むつ市教育委員会指定生活科研究発表会開催
平成3年11月6日青森県健康推進学校小規模校の部優秀校受賞
平成3年11月18日機械警備装置による校舎管理となる
平成6年9月27日青森県教育委員会主催第33回健康教育発表会開催
平成7年11月3日健康推進学校小規模校の部で全国表彰
平成8年10月20日創立120周年記念式典及び祝賀会挙行
平成9年10月31日下北郡国語教育研究大会開催
平成9年11月15日優良PTAとして青森県連合PTA研修会にて表彰
平成11年3月26日自校給食廃止、センター方式の給食となる
平成12年4月1日4学級編成(2・3年、4,5年複式)
平成13年4月1日4学級編成(3.4年、5,6年複式)
平成13年7月東北運輸局表彰、東北運輸局長賞受賞(多年の海岸清掃)
平成13年11月19日創立125周年記念航空写真撮影
平成14年4月1日5学級編成(5・6年複式)
平成15年4月1日4学級編成(3・4年、5・6年複式)
平成16年9月15日小さな親切運動日本列島クリーン作戦表彰
平成16年10月4日日本郵政公社東北支社表彰(貯蓄)
平成17年3月6日ライオンズクラブ国際平和ポスターコンクール感謝状受賞
平成18年9月24日下北ジュニア綱引き大会「城小ストリーム」優勝
平成18年10月14日創立130周年記念DVD製作
平成19年5月学校支援ボランティア実践推進モデル校
平成19年12月3日下北ジュニア綱引き大会「城小ストリーム」連続優勝
平成20年4月23日文部科学省読書教育推進実践優良校表賞受賞
平成20年6月むつ市委託事業「学校支援地域本部」として活動

100周年記念誌の写真一覧